教育随想 636回 自然の中に 身を沈める子ども
九州に位置する九重山。
山一帯にひろがる紅葉が目の前に迫ってきます。
登り切ったところが平坦で広がる紅葉の山腹。
足が痛くなり体に力が入らなくります。
苦しければやめればいいのに・・・。
なぜ、そんなにしんどいことをするんだという批判。
でも、頂上に立った者だけが共有できる何かがあります。
充足感、自然への畏敬の念・・・。
人によって異なるでしょう。。
でも、自然は私に「予期せぬ」ものを与えてくれます。
今、紅葉の名所はどこも混雑しています。
「紅葉を見てきたよ」という雑談。
紅葉だけなら、地域の街路樹も美しいです。
わざわざそこへ出かけるのはどうしてなのでしょう。
子どもたちに自然観察をさせることも多いです。
大切なことは、どこかに出かけるのではなく、子どもがいる近くの自然に気づくことです。
理科学習では、自然を自分から距離をおいて眺めます。
細かく茎や葉の様子を観察します。
しかし、植物を前にしての感動はありません。
植物に心を寄せることが少ないからです。
ある時、一人の子どもが秋の草花を観察している時です。
その植物の葉が赤く染まっている前で、観察をしようとしません。
その子に尋ねました。
その子は「先生、葉が赤くなってきれいだね。周りの木の葉っぱも春とはけしきを変えているよ。こうして見ているだけで、うっとりする。いいなあ。」
この子は、自然の中に入り込んでいます。
自然の世界に入って、紅葉の世界に心を寄せていました。
事実を観察することも大切です。
しかし、、自然を対象物として見るのではなく、自然の中に自分を漂わせていることのほうが、より大切なことのように思えました。