教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 632回 高学年の指導 指示は 減るもの 消えていくもの

子どもたちの指導において、先生はいつも指示をだしています。
言わなくてもよい指示が多すぎます。


まず、一番よくない指示は「静かにしなさい」です。
子どもたちは、好奇心、意欲があれば、必然的に静かになります。
「静かにしなさい」という言葉を使わないで、子どもたちが静かになる方法を考えるのが実践者である先生の仕事です。
これについては、今までのブログにおいてお話してきました。


次に多いのが「こちらを見なさい」「顔を向けなさい」
このような言葉を、大人社会では言いませんね。
言えば相手を不愉快な気持ちにさせます。
子どもたちも内心では同じように不愉快なのです。
「先生を見ろというが、先生の面白くない話を聞きたくない」
「先生の話はわかりにくいから、ついよそ見をするんだ」
先生の方を向かないのは、子どもなりに訳があります。


次の言葉。「ちゃんとしなさい」「ちゃんとすわりなさい」・・・
何でも先生は、子どもたちにちゃんとさせようとします。
子どもたちが自然にちゃんと「姿勢を正して」「顔を見て」「話を聞く」
ようにすればいいのです。
子どもたちの行動の結果だけを指示しています。
結果をだすのは、先生の指示ではありません。
子どもが自主的、主体的に動いた結果として「ちゃんと」が具現化されます。


低学年であっても同じことが言えます。
不必要な指示が多いです。
しかし、最初のうちは、先生が指示をだしていくこともあります。
一年間で、初めの指示が減っていけばいいです。


高学年にもどります。
さらに、無駄な指示は、減らしていきます。
「教科書をだしなさい」
「今日は、何ページを開けなさい」
その他、学習における無駄な指示がありますね。


指示しなくても、子どもたちが自然にそうなるような指導を考えます。
実践者は、常に、目の前の子どもたちの事実を見つめることから始まります
そして、問題の解決も子どもたちの姿のなかにヒントがあります。
決して、教育参考書のなかにはありません。(すべてが個別的なことだから)

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