教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想624回 問題児とした瞬間 こじれていく指導

3年生の学級にA君がいます。
一学期当初は、少しわがままな子だなと思われるぐらいの子だったそうです。
それが、二学期になると、先生の手を煩わせる子どもになっていました。
授業中の立ち歩き、暴言、友だちに対する暴力等、その都度、先生を困らせています。


最初は、先生のそばにきて、先生の手伝いをする子でした。
ところが、先生が他の子に手伝わせると、手伝った友だちを責めます。
仕事も横取りします。
先生を支配したいようです。
そのうち、授業中や休憩時間に暴れることがありました。
生徒指導担当の先生、教頭先生が教室に駆け付けるようになりました。
A君は問題児のレッテルを貼られ、職員会の話題に上がるようになりました。


学校社会では特に、他の子どもたちと足並みをそろえない子は、問題児としてみなされやすいです。
先生に至っては、自分の意のままにならない子どもは厄介者としてみることがあります。


その子を問題児として見ることは、その子を傷つけることになります。
先生がA君に直接言わなくても、他の先生を呼び込んだり指導依頼すると、周りの子を含めて、問題児として見られるようになります。


したがって、多くの場合、その子どもを問題児という見方をした瞬間から、問題はよい方向に向かわないことがあります。(すべてがそうではありません)
先生も、学校職員も保護者もA君を問題児扱いにしています。
私は、子どもを育てる仕事は、その子にレッテルをはらないことだと考えます。
新学年の前担任の引継ぎ内容の中には、レッテル(この子はこういう問題がある)はりをすることがあります。
私は、最初に、前の指導記録や指導要録に目を通しませんでした。
その子に対して、先入観をもって対面することになるからです。


レッテルをはることでもう一つ大きな問題があります。
世間でも、「あの人はこんな人だ」というレッテルをはることが多いです。
子どもの場合、、その子にレッテルをはってしまうと、それ以外のものが見えなくなります。
それどころか、その子が問題児であることを強化するための情報を集めようとします。
職員会の生徒指導報告にだされる情報に多く見られます。
人を育てる仕事は、問題児という見方を克服することです。
問題児という視点にとらわれないことです。
最初において、他の先生の眼を使わないことです。


しかしながら、実際には難しいことです。
どうしてもとらわれるのが人間です。
だから、とらわれることが問題なのではないのです。
自分がその子に対して、周りの評判にとらわれているのではと疑いをもつことです。
子どもを見つめることは、つまるところ、
自分の在り方を見つめることですね。