教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 479回  実践((活動)記録  新しい子どもたちの圧力に

子どもたちとの一年間の成果を記録されていると思います。
記録しておくことで、次の学年の子どもたちの指導に活用します。
学年が違う場合、すべて活用できないですが、子どもたちの参考にはなります。


私は、次のようなものを記録として残しました。


ノートの使い方が上手な子どものノートをコピー。
ていねいに整理されているもの。
考えたあとが残っているもの。
算数において、間違い直しが丁寧であるもの。
そして、国語一単元で使ったノートのページ数が多いもの。
これは、一年間を通して実施します。


筆箱の中、上手に整理しているもの。
習字道具をケースのなかに丁寧に整理してあるもの。(図工関係も)


係活動のポスター、活動記録も写真やコピーにして保管。
個人ロッカーで上手に保管してあるもの。


動画として保管したもの
集団遊びの様子。
授業における子どもたちだけの話し合いの様子。
お楽しみ会などの学級行事を記録。
学習発表会、劇発表会の様子。


先生方におかれては、他にもいろいろと記録されていると思います。
さて、問題は、この記録をいつどのように使うのかということです。
記録してあるもののほとんどは、一年間の後半のものです。


やがて、4月から新学期が始まります。
前年度の記録を学年の初めにもってこないようにします。
先生によっては、前の学年は、頑張ったのだということを子どもたちに見せようとします。
子どもたちの目標として見せられることものあります。
その先生の気もちはよくわかります。


しかし、それが最初にもってくることで、子どもたちの圧力になることがあります。
よく、兄弟のしつけで、弟に「お兄ちゃんを見習いなさい」と言うことがあります。
弟にとっては、この親の言葉は圧力になることがあります。


前の記録を新しい子どもたちに提示するのは、子どもたちの意欲が高まってきた時です。
あるいは、同じぐらいの成長域まで上ってきた時です。
そのタイミングで提示すると、子どもたちをいい意味で刺激します。
記録を子どもたちに見せることで、「ぼくらは無理や」と委縮させないようにします。
比較する材料にしないようにします。

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