教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 414回  研究授業、授業研究・・・核となるものが希薄

勉強会の先生が算数の研究授業をすることになりました。
テーマは「ITを使った指導方法について」です。
このように指導したいから、映像による授業を実施したいというのではありません。
その研究は、中学年の先生が協同で考えたことを一人の先生が代表で授業発表します。


さて、この研修において、問題点があるので書くことにしました。
研究授業の意義があいまいです。
一般的な学習の流れだと、それは研究授業ではないそうです。
何か特別な見栄えのするスクリーンの使い方を提案するための話し合いが持たれました。
他の先生から見て、ちょっと違ったことをすることで研究しているようにしたいようです。


スクリーンを使って図形を表示できるのはどの単元かを探します。
そのうち、どの場面を取り扱うと研究授業らしく?なるのかを考えたそうです。
研究された授業の発表なのか、授業の在り方を研究するための授業研究なのかが明確ではありません。
確かに特別な教授方法を提案することは必要です。
しかし、ほとんど研究をしないで、見かけだけの安易な姿勢が気になります。


その先生が授業を担当することになったとき、「まず、あなたが自分なりの考えで指導案を書いてください」と、グループの先生に言われました。
その先生は、時間をかけて指導案を書き上げてグループ研修の場で提案しました。
ところが、最初のグループの方針からそれて、各先生方が自分の思いを好き勝手に
発言された結果、その先生が書いたものは一つもなくなってしまいました。
その先生が私の所に来られて「私の考えが反映されていないのがつらいです」とおっしゃいました。


指導案を書く前にグループとしての指導の方針を共通理解したにも関わらず、そのことに沿って話し合われなかったそうです。


結果としてク゚ループのベテランの先生の発言で、すべて書き直すようになりました。
そして、授業を実施する先生は新しい指導案を提案しました。
ところが、次の話し合いで算数部に所属する教頭先生も加わりました。
すると、最初の案、教科書通りの案で実施したほうがいいということになりました。


さてさて、何を研修しようとしているかわかりませんね。
授業研究をする場合
教材の扱い方、教材の教え方、教材の学ばせ方、児童の考えの引き出し方、教材の核となる概念形成の手立て、学習における話し合い、対話的学び方、板書による子どもの思考の深め方、授業における子ども同士の仲間づくり、学力差の克服など、いろいろあるはずです。
どこにスポットをあてた研修なのか、曖昧になっている学校もあると聞いています。
研究授業であっても授業研究であっても、先生方が日々の授業で活用できる技術、考え方を研修できる場であってほしいです。
ふだんの授業に生かせないような大掛かりのセット(道具や掲示)は見栄えこそしますが、明日からの授業に生かせません。
研修は、日々の授業にメスを入れる場です
日々の授業で、子どもたちに学習意欲を増幅させているのか。
日々の授業で確かな学力を身につけさせているのか。
これらのことが研修の源になっていることが大切ですね。

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