教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 413回 教え込む ? 繰り返し説明 ? 効果的に力をつける

教え込むことが一番効果的に力をつけると信じていた私。
初任者のころ、子どもには、しっかりと教え込むことが大切だと先輩から言われました。
初任のころは、教える手順も伝え方もわかりませんでした。
教えることはできても、教え込むことはできなかったのです。


教えるという行為は、子どもを前にして内容を伝えることです。
子どもがわかろうがわかるまいが、先生は、おしゃべりをすればいいわけです。
職員室でも、前の学年の内容が次の学年に進級して、理解していないことがあります。
前の学年の先生は言います。
「その学習内容は教えましたよ」と言われ、自分には責任がないという表情をされます。
教えても子どもが理解していなかったら、教えたことにはならないのではと思ったものです。


教え込むの「込む」は、「徹底してそのことを続け、当面の目的が達成されるようにする」という意味があります。
漢字を繰り返し指導して、その内容を理解させます。
理解するまで何度も指導します。
九九の計算も同じです。
できるまで繰り返します。
目的が達成するまで、子どもたちに九九を指導します。


通り一遍に漢字を教えて、子どもたちに定着していなくても「教えました」と言われる先生に比べると、努力のあとが見受けられます。
私は、教え込める先生はすばらしいと思います。
目標と努力によって、子どもたちに一定の技能や知識を習得させようとする意欲。
私は教えても、教え込める指導ができなかったです。
ベテランの先生の実践力に圧倒されたこともありました。


こういった教え込むという指導は、企業の技能研修においても実施されています。
目標をたてて、社員をそこに向けて導く、時には追い込むこともします。
私は、先生が教室の子ども全員に教え込む力がないのに、話し合いや班学習の指導はできないと考えています。
先生が子どもに直接教え込む話術、指導力があって、それを補うものとして班学習などの学習形態があると思っています。
さもないと、先生の話が行き詰ったので班学習に移行したのでは、子どもの学習意欲を持たせないまま子ども任せにしてしまうことになります。


話し合い学習を実践するには、先生が教科書だけで子どもを納得させるだけの話術と指導力が必要です。
そのうえで、多様な学習形態を駆使して効果を上げることができます。