教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想1233回 学級に望む先生と子どもの願いとのずれ

学級づくりも6月の半ばになろうとしている。

担任制が多く実施されるようになってきている。

一人の先生が学級を育てるのではなく、複数の先生が子どもたちを見守り育てる組織がくまれている。

そのことの是非はここでは問わない。

 

学級づくり、子ども集団づくりとは、学級集団に望む先生と、子ども集団の願いのズレを修復していく人間関係である。

 

先生は、子供や学級に対して、こんな子供、こんな学級という願いをもって日々実践しようとする。

しかし、子どもたちの願いは様々である。

 

先生の方針と子供の願いはすべて一致することはない。

ずれを先生と子どもたちとが、お互いの心を寄せ合いながら両者にとって希望がもてる集団を形成していく。

 

よく言われることが、低学年の子どもは生き生きしている。

ところが高学年になるにしたがって、陰鬱な印象を与えるのはなぜだろうか。

高学年になるほど、先生の思いと子どもたちの思いがすれてくる。

さらに、子供たちは、ずれていても諦めるようになる。

どうせわかってもらえないだろう。

先生に期待することが薄くなってくる。

 

レストランは、お客の願いをもとにしてメニーを考える。

商店街は、気持よく便利な買い物をしたいという客の願いに敏感である。

まず、客の要望があっての商売である。

 

学校では、子どもたちが、どのような願いをもって登校してくるのかを気づけるようにする。

そのために子どもの気持や願いを知ることが大切である。

教科学習において、子どもたちの興味関心、得意・不得意について知ること。

教材に関しては、それぞれの子どもたちが教材のどこに関心をもつかを予想できること。

学級生活を子どもたちの生活空間として、より快適で楽しい教室づくりをすること。

 

先生が学級経営案をたてるとき、先生の願いが先行する。

この学校、学年、学級、目の前の子どもたちにとっての共通の願いを考える。

子どもを優先して経営案を考える。


6月の今頃になると

学級の子どもたちが静かに勉強している。

少しざわつきが多くなってきた。

けんかやもめごとが増えてきている。

子どもたちの退室時の机やいすの整頓がされなくなってきた。
不登校がちな子どもがでてきた。

授業時の学習姿勢が乱れるようになってきた。

子どもの声がヒステリックで大声をだすようになってきた。

掃除が乱雑になり、掃除用具箱が乱雑になってきた。

先生に不服従な子どもがちらほら登場。

 

そこには、子どもと先生、お互いの願いのずれが起きている。

修復は一学期の間である。

今一度、子ども一人ひとりと先生との距離感を点検する。

先生の周りにくっついている子ども。

先生から少し離れている子ども。

さらに、遠くから先生を斜め視線でみている子ども。

具体的に振り返ることが大切。

 

子供を待つのではなく、先生が子供に働きかける。

働きかけることで、子供から働きかけられるようになる。

「働きかけるものが働きかけられる」

×

非ログインユーザーとして返信する