教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 41回 掲示物 学級、学校目標 その効果は


すばらしい掲示、学級が華やかさに満ちている学級があります。
一つ一つ丁寧に作成された掲示物を見ると頭が下がる思いがしたものです。
新学期は、教室や廊下にある掲示物は新鮮です。
一年がたつとどうなのでしょうか。


教室の前面に掲示されている学級の目標です。
たいがいの教室には掲示されています。
 「なかよく」「助け合おう」とか「思いやりを」「やさしい子」「たくましい子」「ねばり強い子」「がんばる子」などなど・・・・・。
掲示しておかないと子どもたちの心にはいらないのでしょうか。
たえず子どもたちの目のつくところに掲示して意識させるのでしょうね。
一年間、その目標は張り替えられることなく掲示され、用紙がくたびれています。


そういえば、会社にも店舗にも目標なるものが掲示されていることがあります。社員の意識を高めるためのものでしょう。


ところで、学級の目標の掲示、だれに向かってアピールしているのでしょうか。「もちろん、子どもですよ」という返事がかえってくることでしょう。
しかし、抽象的な目標を子どもたちは理解するのでしょうか。
子どもたちには、その都度、先生が子どもたちの意識を高めていけばいいように思います。学級の目標は指導する先生の胸の内にあればいいことです。それを常に意識して指導していくことが必要です。
だから、掲示されている目標は、先生のためのものです。


そうであるならば、あえて、教室に掲示する必要がありません。にもかかわらず、掲示しているのはどうしてでしょうか。
学校の教育目標も同じです。学校の玄関や校長室に大きく目立つように掲示されています。
それは、校内の人間ではなく、外来者にアピールするためにあります。
もちろん、学校の子どもたちの目に触れさせることで意識化しようという考えはわかります。


私たち学校や学級では、このような目標をもって指導していますよということを外に向かって発信しているのです。なんとなく恰好よく思えるのでしょう。
でも、学校や学級の目標は、掲示物に表わすものではなく、1人ひとりの子どもたちの姿に具現化されるものです。


校内に入ると、子どもたちが元気に挨拶してくることがあります。
どの子もきちんと挨拶しています。
それをみると、この学校は、挨拶のできる子という目標をもって指導しているのだと感じられるようになります。
目標が、保護者向けであったり、他校からの参観者向けであったりします。


ごめんなさい。目標の掲示物が意味をなさないというのではありません。
学級目標を掲示して、月ごとに具体化した内容を盛り込んでいくような指導もあります。一年間、同じ目標が掲示されているということはないはずです。子どもたちの成長にしたがって、目標も動いていきます。
目標は子どもたちの成長とともに動いていきます。
当然、目標を記した掲示物も変化していくはずですね。


一年間掲示された学級目標が色あせてしまっていることはないのでしょうか。四月に掲示した目標の紙が一年間たつと日焼けして色あせて見えます。

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